#繊細生活 -キッチン 1-
みんな、ムダなんてなくして効率よく済ませるのが一番だって思っているかもしれないけれど、ムダをなくしたいのはムダなことをしたいからって、忘れてしまってないだろうか。
本当にムダなく効率的に生きたいのなら
各々にあわせて完璧に計算された栄養バランスの栄養食品を摂取して、完璧に計算されたメニューの運動をマシンでこなせばいい。
そして、完璧に自分に似合うファッションやメイクを提供してもらい、完璧な経済活動だけしてればいい。
でも、そんなの人間に生まれた意味がないじゃない
って、私は思うの。
これが人間の特権だから。
ムダに(なんて言ったら怒られそうだけど)長時間働いて、時間がないから家事のムダを省略するために、わざわざ高いお金をだして最先端の家電を買って、時間を作ってはわざわざアウトドアで体力を消耗して遊んだりする。
そこにはムダがいっぱいあるけれど、一体それを誰が責めようか。
ムダなことするためにムダを省く努力をする。
それでこそ人間は人間でいられるのだから。
(それがなくなったらきっと、私たちは限りなく人間的なロボットになっちゃう!)
存在するのは、好みのムダと好みじゃないムダ
私だって、血や肉にはならずとも部屋にお花を飾りたいし、働きに出ていなくても掃除機はルンバにお願いしたい。そのうえでわざわざフローリングは雑巾で水拭きをしたい。一日のうちに数十分は「何もしないことをしたい」。
例えそれがムダなことだと言われても。
だって、ただただそこには、好みのムダと好みじゃないムダがあるだけだから。
好みじゃないムダを排除することに一生懸命になるのではなく、好みのムダをお腹いっぱい味わうことを大事にしたい。
「わたしの"好きなムダ"ってなんだろう?」
それを目をあけてしっかり見ることを大事にしたい。
たとえその結果、「床の埃をかき集めること(=好みじゃないムダ)」をしない代わりに、「床にはいつくばって拭き掃除(=好みのムダ)」をする、みたいな、多分誰にもよくわからない状況になったとしても、いいのだ。私が幸せなら。
𓃟現在のくいしんぼう度𓃟